classics-disco’s blog

西洋古典学を学ぶ一学生のブログ

『ホメロス「イリアス」への招待』②

 前回に続き『ホメロスイリアス」への招待』を読んだ感想です。初めはきちんと論文をまとめて内容を紹介する気だったのですが、結構時間かかりそうなので主観的な感想を大目に綴ることにしました。

アキレウスの怒りと人間性の輝き

 「アキレウスの怒り」という主題を巡る論考を読んだ。僕が一年の時に初めて書いたイリアスのレポートも同じことを扱ったのを思いだす。先生は僕のレポートをきちんと赤で添削して返して下さった。今でもそのレポートは大事に持っている…

 

 「アキレウスの怒り」はどのような終わりを迎えたか?という問いに対する答えとして説得的なのは川島重成『「イーリアスギリシア叙事詩の世界』で詳しく述べられているが、プリアモスとの会合による、敵味方を越えた、死すべき者同士としての共感によって、蚊の怒りは終息を迎える。

 

彼ら[アキレウスプリアモス]が悲惨のなかにあって放つこの人間性の輝きこそが、

アキレウスの怒り」という主題を真に豊かに終熄にもたらすものであったと理解

できるのです。(245頁)

 

この「人間性の輝き」というアイデアは、今日でもまだ、否、寧ろ今日ではよりアクチュアルな問題であるように思われる。僕は個人的に人間性に対する問題意識を持っているのだが、『イリアス』のこの和解の場面は強烈な印象として残っている。確かに、『イリアス』の舞台は戦場で、しかも神々が生き生きと描かれているから、僕らの日常とは離れた印象を受けるかもしれない。けれども人を好き/嫌いという価値判断で分けることは意識的/無意識的に行われているし、「生理的に無理」などとった理由で人を虐めることも学校ではよくあることだ。「親子間の愛」ですら確かなものではなく、親が子を殺すニュースは現に後を絶たない。このような時代に生きる僕らは一体どのように人と向き合えばいいのだろうか。このような問いはもちろんイリアスで語られているわけではないのだが、重要な問いとして記しておきたい。

 

なんと気の毒な、あなたもその心中にさまざまな不幸を忍んでこられたのだな。...

苦しいことごとは、辛いことではあるが、胸の内にそっと寝かせておきましょ

う。...そのように神々は哀れな人間どもに、苦しみつつ生きるように運命の糸を紡

がれたのだ──。(24巻)

 

アキレウスはこのように死すべき存在である人間は神とは違い苦しむ運命にあるということを述べている。彼の人間理解は悲観的にも聞こえるが、同時に人間すべてを「悲劇の担い手」(川島, 232頁)として理解する、重要な洞察である。この人間理解を、「人格の尊敬」や「人権」といった近代の諸概念と比較するのも興味深い試みになるだろう。