classics-disco’s blog

西洋古典学を学ぶ一学生のブログ

ギリシア悲劇の解釈を巡る論争──「イオカステはいつ知ったか」という問い──

 はじめに

 僕は先学期に履修していた「西洋古典文学」という授業の期末レポートとして「イオカステはいつ気づいたか」と題するレポートを書いた。その時に特に参考にしたのは川島重成『アポロンの光と闇のもとに』(詳細下記)という本で詳しく論じられている、イオカステの認知は従来言われていたもの(1056行)よりも実は早く、彼女は793行の時点で既にオイディプスが自分の息子であることに気づいたのではないかという趣旨の論考だ。その時に是非とも参照したいと願いながらも残念ながら大学の図書館になかったので手に取れなかった、丹下和彦『ギリシア悲劇ノート』(詳細下記)が今日図書館に届いたので手に取った。この本には先に挙げた川島先生の説を直接的に挙げて批判しているのだ(こういう学者同士の論争みたいなのって人文学以外の分野でもよく見られるんですかね?この類で言うとエラスムスとルターの自由意志を巡る論争なんかもありますよね)。この二つの論を整理して持論を展開するのが本来の筋だろうけれど、それはせず、二人の学者の解釈を見比べ、古典文学を勉強している学生として僕が面白いと感じた点を書こうと思う。

 

 “解釈”という営み

 ギリシア悲劇を含め、文芸作品を読んでどう理解するのかというのは難しい問題である。ある人が僕に以前「文学って人それぞれに解釈するものでしょ?」と言ってきて困惑したことがある。確かに、「感想」はその人個人のもので他の人がとやかく口出すものではない。だが「解釈」という話になるとそこには根拠というものが必要になってくる。「この作品を通して、作者は~ということを伝えたがっています」と論じるためにはなぜそう主張できるのか、という問いに答えられないといけない。

 川島先生は、イオカステの神託への言及が何故か二度為されている事実に対して、これはイオカステが793行で既に「気づいて」いたことの論拠としている。一方で丹下先生は様々な論拠を挙げてその説を批判しているが、最も大きな批判点としてこれはそもそも劇であった事実を挙げ、川島説のような緻密な読解はギリシア悲劇の上映を観ていた観客にとって、容易に気づけるものではなかっただろうと言う(実際に観ている古代ギリシア人はイオカステが793行で気づいたなんて言わないだろう!という趣旨だと思われる)。丹下先生は最後に「これはやはり書斎で何度もテクストを読み返したあげくに辿り着いた机上の試論なのではあるまいか」と言って川島説を退けている。ここに二人の古典学者のギリシア悲劇の解釈を巡る差異が認められる。

 

 ギリシア悲劇の解釈

 丹下先生が『ギリシア悲劇ノート』の序章で述べているのは、ギリシア悲劇はそもそも演じられるために著されたという事実である。今僕らが手にしているのはあくまでシナリオなのだ──これは当然のことのように思われるが、敢えて特筆するに値すると述べているのは、彼のギリシア悲劇解釈に大きく影響しているからに違いない。丹下先生は冒頭で

 

[ギリシア悲劇の]シナリオを文学的に読み込むということは決して意味のないことではない。...それがしかしあまりにも極端に過ぎ、時に独善的な読み方に陥ることもなかったとは言えない。(6頁)

 

 

と述べているが、これはテキスト(シナリオ)を読んで解釈する現代の学者たちに対し、ギリシア悲劇の本質的な特徴(それが上映されていたという歴史的背景)を忘れてはならないという警鐘だと思われる。それはとても重要なことだと思う。叙事詩でも抒情詩でも、それらがどのように詩人たちによって創られ、人びとがどのように作品と降れていたのかを考慮するのは不可欠だろう。悲劇などの解釈という点では、僕らは古代ギリシアに戻って劇を鑑賞することができない以上、やはり作品解釈の論拠となるのはテキストに拠らざるを得ないのではないだろうかとも思う。僕が古典文学のテキストの文化背景についてより詳しく調べる必要を感じた(そしてそれは「テキストとはなにか」という問いにもつながる)ので春休みを利用して、この文化背景を学ぶために『古典の継承者たち』(詳細下記)という本を読むことにする。

 

 

アポロンの光と闇のもとに―ギリシア悲劇『オイディプス王』解釈

アポロンの光と闇のもとに―ギリシア悲劇『オイディプス王』解釈

 

 

 

 

ギリシア悲劇ノート

ギリシア悲劇ノート

 

 

 

古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史

古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史

  • 作者: L.D.レイノルズ,N.G.ウィルソン,L.D. Reynolds,N.G. Wilson,西村賀子,吉武純夫
  • 出版社/メーカー: 国文社
  • 発売日: 1996/03
  • メディア: 単行本
  • クリック: 1回
  • この商品を含むブログを見る