classics-disco’s blog

西洋古典学を学ぶ一学生のブログ

西洋古典文学の「場」

 

 ひょんなことから今、懇意にしていただいている教授の別荘に逗留中だ。君、僕の別荘はひどく静かな所で勉強に最適なんだけど、GWの間泊まっていかないかい、その代わり洗濯や掃除、庭の手入れなんかをしてほしいんだがと頼まれ二つ返事で承諾した。実際、ここだと通常の倍以上勉強が捗る(東京と違ってアパートの隣人が深夜に酒を飲み狂乱するのが聞こえてくることもない)。おかげでいつもは二日、三日はかかるギリシア語の予習も一日で終わり、最近始めたヘブライ語(現代のではなく聖書に使われている方)も、亀のようなスピードだがなんとか進んだ(Liddle & ScottとBrown-Driver-Briggsを背負って来るのは辛かったが)。

 

 授業の課題もあらかた片付いたので、先生の本棚を物色し蔵書を渉猟していると、平田松吾先生の『エウリピデス悲劇の民衆ーアテナイ市民団の自他意識ー』があったので少しだけ読んだ。現在僕はこの平田先生の授業を履修中というのもあって読んでみたかったのだ。「エウリピデス悲劇の民衆」の「民衆」は、いわゆる「非市民」と呼ばれる者たち(奴隷や女性)、そして「下層市民」という今まで注目されてこなかった、古代ギリシアの市民層をも含める。本書は、「文学」と現在称されている営みに対して疑問を投げかけ、文学作品がパフォームされた社会的・政治的背景をも踏まえて、つまりは「文学テキストをその政治・社会背景(コンテクスト)との関わりにおいて」(5頁)研究する、という立場をとっている。そのコンテクストとは、具体的には、ギリシア悲劇が上演されていた時のアテナイの社会、悲劇上演の「場」──大ディオニュシア祭と呼ばれる祭りの舞台、悲劇の作者、それを演じる俳優、そして聴衆たち──などを含める。これはとても重要な指摘だった。このようなコンテクストを踏まえければ文学解釈は空虚なものになってしまいかねないだろう。この本は古典文学研究の様々なヒントを与えてくれたので、とてもいい収穫になった。

 

 この本から刺激を受け、これからの自己課題として三つ定めた。①西洋古典文学の場(コンテクスト)、②西洋古典文学の文献学(編集文献学)、そして③「西洋古典文学におけるジェンダー」。①は、ギリシア悲劇に関してはアテナイの社会について学ばなければならない。また僕が興味を持っているのはホメロス叙事詩のコンテクスト──詩人が語り聴衆が楽しむ「場」とその社会・政治背景──がいかなるものだったか、ということだ。これについてはまた、先日書いた『ホメロスイーリアス」への招待』を読んで示唆を受けようと思う。②については、西洋古典文学のテキストがいかにして今僕らのもとにあるのか、という歴史についてである。これは結構骨なのでそろそろ本腰を入れて調べようと思う。③については、これまでちゃんと勉強してこなかったフェミニズム=テクスト解釈理論についてちゃんと調べようと思う。最近初めて女性が『オデュッセイア』を英訳したというのを知ったので、大学図書館に購入申し込みをしたら買ってくれた(今は到着待ち)のでこれと従来の『オデュッセイア』の英訳を読み比べてみようかなと考えている。

 

明日から東京に戻るので、帰ったら自分に課した課題を少しづつこなしていこうと思う。また図書館に籠ることになりそうです。。。